ページの概要:町の史跡・天然記念物を紹介します。

馬場館跡

呼び方:ばばだて あと
種 別:史跡
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:小向字馬場

解説
馬淵川と猿辺川にはさまれた挟まれた天然の要害で、中世南部氏に関する城館とされています。現在知られる馬場館跡の規模はそれほど大きなものではありませんが、ここから東に大きく三角に突き出したところを含めて、もっと大規模なものであったとする説もみられ、聖寿寺館跡より古い形の館跡の存在が想定されます。以前はその四周に土塁と堀が巡らされ、井戸もあったといわれていますが、今ではこの台地の南側に堀と土塁、虎口とが見られるのみです。

平良ヶ崎城跡

呼び方:へらがさき じょう あと
種 別:史跡
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:沖田面字南古舘13
所有者・管理者:南部町

解説
1192年(建久3)南部氏初代光行の築城とされています。後にここを政庁とし、聖寿寺館を居城としたといわれています。北方の高山峠から浅水を経て五戸へ通じる道と、東方の八戸へ通じる道との分岐点にあり、交通の要所を押さえるところに立地された城館であることが、諸書に述べられています。

相内館跡(一夜堀跡)

呼び方:あいないだて あと(いちやぼり あと)
種 別:史跡
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:相内字荒屋敷
所有者・管理者:南部町 ほか

解説
1191年(建久2)糠部に入部した南部氏初代光行が、相内観音堂に宿をとり、豪農助左衛門の屋敷を借上げ、家臣村人総出で一夜のうちに堀を巡らしたというので、一夜堀館ともいわれています。現在確認されている郭には神明宮と民家とが立ち並んでおり、境内には当時のものと見られる土塁、東西には出入口を思わせる箇所も遺されています。

塚ノ越古塚(2基)

呼び方:つかのこし こづか
種 別:史跡
指定年月日:昭和53年10月17日
所在地:沖田面字南古舘10
所有者・管理者:南部町
 

解説
南部氏累代の墓を守ってきた八幡宮別当佐々木家が、南部氏の墓として代々供養してきたことから、南部氏の御塚といわれています。大正までは5基ありましたが、道路の拡幅工事の際に3基が取り崩され現在は2基残っています。

 

大向館跡(鎧神館・衣甲館・中山構館)

呼び方:おおむかいだて あと(よろいがみだて・えこうだて・なかやまかまえだて)
種 別:史跡
指定年月日:昭和53年10月17日
所在地:大向字下比良、ほか

解説
中世南部氏に関連する城館跡で、鎧神館・蝦夷館・中山構館が一体のものとして機能していたと思われるため、この三つの郭の総称として大向館跡としています。前に馬淵川、後ろに霊峰名久井岳を背負う、広大な館跡が想定されます。

 

赤石館跡

呼び方:あかいしだて あと
種 別:史跡
指定年月日:昭和53年10月17日
所在地:赤石字舘

解説
赤石城ともいわれ、館主は南部26代信直、27代利直に仕えた桜庭安房直綱(二千石)。赤石集落の東側で北に馬淵川を臨む断崖上としていますが、十二神社を中心にみると、赤石集落そのものが館跡としての痕跡が見られるため、もっと規模の大きな館跡と想定されます。

 

腰掛石(2基)

呼び方:こしかけ いし
種 別:史跡
指定年月日:昭和55年3月26日
所在地:玉掛字諏訪ノ平

解説
聖寿寺館(本三戸城)に放火した赤沼備中と、追いかけた下斗米昌家がここで戦い、勝敗が付かず互いにに疲れ果て、腰を下ろして休んだと伝える二つの大きな石が境内に置かれています。元は諏訪神社の後方、国道(旧八戸街道)を挟んで北側に赤沼石が在り南側に下斗米石が在ったといわれていますが、いつの頃かここに移されました。
 二つ並んでいて大きい方が赤沼石で、少し小さい方が下斗米石といわれています。

一里塚

呼び方:いちり づか
種 別:史跡
指定年月日:平成8年5月29日
所在地:沖田面字梨子ノ木84-3


解説
奥州街道沿いに残る、保存状態の極めて良い一里塚です。

 

八木田の十三塚

呼び方:やぎたの じゅうさんづか

種 別:史跡
指定年月日:平成28年5月18日
所在地:片岸字八木田65-1内

解説
 八木田の十三塚は馬淵川の北側、苫米地に広がる田園地帯の北側の段丘上に立地する。塚の立地する尾根から沢を一つ隔てた西方の尾根には八木田館跡が立地し、また北東約1.4kmの位置には御嶽神社が所在する。御嶽神社創建の由来は憤死した赤沼備中の次男が創建したと伝えられ、天台修験であった。御嶽神社の所在地は、元はこの地域(片岸字八木田65番地内)に所在したと云われている。
 現存するのは九基である。そのうち、9号塚だけが縦列しない。
概ね円形を呈すが1・2号塚は不整形である。馬の背状の地形の陵線上に位置し、北側に沢があり、南側は緩やかに傾斜する。1号塚の西に堀切状の構造物があり、塚の領域を区画しているように見える。修験者が死者の追善のため、明徳四年(1393)に十三塚を築いて祈祷の場としたといわれる。

 

三光寺いちょう

呼び方:さんこうじ いちょう
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:小向字正寿寺60


解説
三光寺境内にあり高さ約22m、周囲約9.50m、推定樹齢約800年。

 

 

 

 

正寿寺おんこ

呼び方:しょうじゅじ おんこ
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:小向字正寿寺62-1


解説
南部利康霊屋の左わきにあり高さ約15m、周囲約4.35m、推定樹齢約1,000年。

 

 

 

赤石けやき

呼び方:あかいし けやき
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和49年7月22日
所在地:赤石字待場


解説
赤石十二神社の境内にあり、高さ 約22m、周囲約7m、推定樹齢約320年といわれています。根元に大きな瘤が多い木です。

 

 

 

しだれ栗

呼び方:しだれ くり
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和51年3月26日
所在地:相内字相西

解説
逆さ栗ともいう。安達の婆が杖を逆さに挿したという杖立て伝説が伝わっています。相内集落、浅水集落の境界にあり高さ約5.8m、周囲約1.5m、推定樹齢約400年。

 

 

 

 

夫婦杉(二股杉)

呼び方:めおと すぎ(ふたまた すぎ)
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和54年7月10日
所在地:小向字鱒沢


解説
2本の杉が途中で接合して1本になった珍木で、集落では神木として大事にされています。樹高約25m、推定樹齢約150年。

 

 

 

 

 

八幡大杉

呼び方:はちまん おおすぎ
種 別:天然記念物
指定年月日:昭和55年3月26日
所在地:小向字八幡

解説
本三戸八幡宮の境内にある杉の大木で、推定樹齢約820年といわれています。胸高の周囲約7m、樹高約24m。

 

 

 

 

 

 

モミの木(トピコの木)

呼び方:もみのき(とぴこのき)
種 別:天然記念物
指定年月日:平成21年11月18日
所在地:高瀬字宮野38

解説
モミの木は、江戸時代初期に神楽を奉納した際に、その記念として植栽されたと伝えられている。境内の鳥居の側に周囲5mを越える古木。樹高32.8m、胸高幹周囲5.18m、推定樹齢300年以上。
地元の長老達の話では、このモミの木のことを「トピコの木」と呼んでおり、その由来は定かではないが、明治年代の戦雲厳しい折に神社のモミの木に一羽のトンビがとまり、ピーショロ、ピーショロと鳴き続け、村人達は不思議に思い何か変事が起こるのではないかと噂していた折り、戦勝の知らせがあり、あれは神様の使いのトンビがピーショロ、ピーショロと戦勝を教えてくださったのだろうと、モミの木を「トピコの木」と呼ぶようになったという伝説がある。

 

伊勢沢の笠松

呼び方:いせざわ の かさまつ
種 別:天然記念物
指定年月日:平成21年11月18日
所在地:剣吉字伊勢沢98-2

解説
昭和40年代まで、伊勢沢には2本の笠松が保護されていたが、現在は1本のみとなった。藩政時代は栗林の中にあり、里人により大切に守られた赤松である。樹齢約400年以上。胸高幹周囲2.48m、樹高7.10m、直径0.75m。

 

山神の松

呼び方:やまのかみ の まつ
種 別:天然記念物
指定年月日:平成21年11月18日
所在地:剣吉字下山43-1


解説
相内野の絵図にこの松が描かれている。1666年(寛文6)八戸藩が誕生したが、この松は北氏の遺産といわれている。
松の近くには五戸道があり、剣吉の人々が古くから使用していた。隣接する相内野の脇を通り、峰伝いに剣吉から五戸に行ける比較的楽な道で、藩政期に剣吉近江屋、伊勢屋、イワキ屋等が使用し、道の目標の木、守り神であったといわれる。
昭和初期頃、この松に斧を入れた人に災いがあったといわれ、傷跡が残る。樹齢約450年以上。胸高幹周囲4.0m、樹高31.98m、直径1.3m