向鶴紋、または双鶴紋と称される南部家定紋の起源について二説が伝えられています。

ひとつは、藩祖南部三郎光行が1193年(建久4)の春、将軍源頼朝に従って信州浅間山へ狩に赴いたときに、陣所付近の池に飛来した二羽の鶴を殺さずに射ち落とし、頼朝から賞されたことを記念して二羽の鶴を定紋にしたという説。

もうひとつは、13代南部守行のときの1411年(応永18年)正月、根城南部十代光経が先陣の将として秋田安東氏と山北(仙北郡)での戦中、夜明けの空に二羽の鶴が飛来し、九曜の星が空から降ってくる夢を見て勝利をおさめることができたため、このことを記念して胸に九曜の星をつけた向鶴を家紋と定めたという二説です。

はじめ向鶴紋は、鶴の外羽根が7枚、中羽根が5枚、内羽根が3枚でした。1808年(文化5)、36代利敬のとき、高20万石、侍従に任ぜられ、この記念に羽根数7・5・3を改め8・6・3に、1839年(天保10)利済のとき少将に任ぜられたのを記念し、10・8・4と改められたといわれています。

このほか、南部家では南部光行の画像にも見られる割菱(武田菱)、花菱、九曜、松毬(まつかさ)なども定紋としています。

 

向鶴
向鶴(三戸南部氏)