南部手踊りの華麗な舞は、先人からの伝統を育んだ結晶

 南部手踊りは、名川地区が発祥の地とされ、数百年以上も前から郷土に引き継がれてきた民舞踊です。

 「南部甚句(なんぶ じんく)」「南部あいや節(なんぶ あいやぶし)」「南部よされ節(なんぶ よされぶし)」「南部馬方三下り(なんぶ うまかた さんさがり)」「南部追分(なんぶ おいわけ)」「南部荷方節(なんぶ にかたぶし)」「南部都々逸(なんぶ どどいつ)」の七つの踊りがあり、“南部七踊り”とも呼ばれています。

 南部手踊りは、もともと宴会などで座興的に楽しんでいた踊りでした。その踊りに「ともえ うのこ」という女の旅芸人から、歌舞伎の見得をきる動作等を取り入れて「楽しむ踊り」から「見せる踊り」、つまり舞台用の踊り(現在の南部手踊りの原型)に創りあげたのが明治初期の栗山由太郎(くりやま よしたろう)といわれています。

 栗山由太郎の踊る“南部七踊り”は圧巻で、別名「剣吉踊り」とも呼ばれ、地域住民に愛され多くの弟子たちに踊り継がれていきました。

 大正に入ってから、栗山翁の弟子で「七踊り四天王」といわれた舘松榮源次郎(たてまつ えいげんじろう・斗賀)・木村勘藏(きむら かんぞう・小泉)、工藤徳次郎(くどう とくじろう・大向)、大村輔保(おおむら すけやす・五戸町浅水)らは、師匠のあみ出した踊りにさらに磨きをかけ、一つ一つの踊りを完成させた人物として知られています。

 昭和に入ると、一世を風びした舘松榮源次郎一座の普及活動がたいへん盛んになり、北は青森県下北半島、南は岩手県盛岡地方まで及んでいきました。その後、時代の進展とともに全国的に広がりをみせ、現在は多くの芸人から親しまれるようになりました。

 町では、先人が残してくれたこの偉大な文化遺産“南部手踊り(七踊り)”を無形文化財に指定(平成6年12月)し、翌年から「南部七踊り全国大会」を開催。さらに伴奏である民謡も“南部七大民謡(七唄)”として無形文化財に指定(平成10年11月)しています。