「向鶴(むかいづる)」が施された刀装具の出土について

 中世の「向鶴」としては初めての出土となる銅製刀装具が出土した。
 この刀装具は、聖寿寺館跡の中で最も重要とされる大型掘立柱建物跡(建物B)の柱穴(pit-114)の中から出土した。長さ26mm、幅13mm、厚さ3mmで、刀の柄の装飾品である「目貫(めぬき)金具」の部分と考えられる。年代は15世紀後半から16世紀前葉のものと推定され、1円玉ほどの円が二つ連なる形状をしている。ぞれぞれの面に鶴が彫られ(「鶴丸」)、向かい合った状態となっている。
江戸時代の南部家の家紋は向鶴紋であることが知られていたが、それ以前に使われていたかどうかはこれまで確認できていなかった。南部藩発祥の地の城館である聖寿寺館跡において鶴が向かい合った姿の刀装具が出土したことは、中世南部家の家紋の発生とルーツを考えるうえで重要な資料と言える。
※目貫(めぬき)とは刀の柄と刃が抜け落ちないように穴に差し込み留める釘やそれを覆う金具のことを云う。

金箔土器の出土について

 東北地方では初の出土となる金箔土器が出土した。
 金箔が施された土器は聖寿寺館跡の中で最も重要とされる大型掘立柱建物跡(建物A)を構成する柱穴とその近くから3点出土した。そのうち2点は幅4.5cm程度の口縁部破片で、厚さは4mm、もう1点は底部片である。内外面に黒漆が塗られ、その上に金箔が貼られている。
金箔土器は全国的にみても類例は少なく、後北条氏の八王子城跡(東京都)や毛利氏の居城である吉田郡山城跡(広島県)、大内氏の大内氏館跡(山口県)、大友氏の大友氏館跡、京都五山第二位の相国寺旧境内地等、室町時代から戦国時代を代表する大名の居館等でしか出土していないのが特徴である。中世南部氏の都との強い結びつきを想起させるものである。