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国登録有形文化財法光寺「承陽塔」

ページID:0001334 更新日:2024年3月21日更新 印刷ページ表示

法光寺に伝わる北条時頼の廻国伝説

法光寺に伝わる北条時頼の廻国伝説の画像

 今から約700余年前、鎌倉執権・北条時頼公がこの地方を訪れた際、夢想軒(むそうけん)の庵主であった玉峰捐城和尚(ぎょくほうえんじょうおしょう)に一晩の宿と心からのおもてなしを受けたお礼に開基したと伝わる名久井岳の名刹です。曹洞宗奥羽三大本山の一つで、開基は北条時頼、開山は玉峰捐城和尚との記録が残されています。
 中世段階では南部氏と親交をもち、戦国期には東三郎義政の菩提所として寺領150石を安堵されたといわれます。江戸時代には八戸藩領曹洞宗25か寺を統轄する総録として法光寺が信仰の拠点となりました。

国登録有形文化財 法光寺「承陽塔」

国登録有形文化財 法光寺「承陽塔」の画像
読み方:ほうこうじ「じょうようとう」
所在地:南部町大字法光寺字法光寺20
所有者・管理者:法光寺
 木造の三重塔としては国内最大級で高さは33m、縦横8mを測ります。明治時代の傑僧 法光寺三十世住職 西有穆山禅師(にしありぼくざんぜんじ)の発願を引きついだ、法光寺三十七世住職 活眼大典和尚(かつがんだいてんおしょう)が中心となって、昭和24年6月29日に竣工しました。
設計は戦前から戦後にかけて全国的に活躍していた日本建築家 金子清吉氏(東京在住)によるもので、1階には曹洞宗の開祖道元禅師の御霊骨を祀り、2階と3階には前田道六作の五百羅漢541体を安置しています。建物の彫刻は東京在住の宮彫師 佐藤光重氏(1888~1974)によるものです。正面に安置されたご尊像が道元禅師です。

問い合わせ先

 南部町大字法光寺字法光寺20

 Tel:0178-76-2506